存在すれば関係できない 関係すれば存在できない 

 存在すれば関係できない。関係すれば存在できない。このジレンマ、葛藤の中で 人は張付けのようにされた苦しみと惨めさを味わいながら生きている。
 存在は関係しないのであらゆる関係(しようとする人々)を全否定する事になる。 これは原理なのでその人々が誰であれ何であれ必ずそうなる。 故に存在は関係(しようとする人々)から忌み嫌われ、無のように扱われる。
 関係は存在しないのであらゆる存在(している人を)を無かった事にする。 これは原理なのでその人が誰であれ何であれ必ずそうなる 故に関係(しようとする人々)は存在から復讐の対象となる。
 存在として立ち現れるわたしと関係としてあなたとの間に現れるわたし。前者は野に咲く花のようなわたしで 後者は波の干渉のようなわたしだ。両者のわたしは全く別物のわたしなのだろうか。 野に咲く花が突如風になり、風が突如野に咲く花になる。そんな生き方ができればいい、 とは思うがそれはそんな簡単な事では無い。そこには全否定と無化の血みどろのやりとりがある。 関係は存在から全肯定されたいと思っているし、存在は関係から有るという認知を求めている。 何の事は無い。関係は存在したがっているし存在は関係したがっているという事だ。 しかしそれは自己否定でもある。だがそれでいい。 関係は関係以上の何かになる必要があるし、存在は存在以上の何かになる必要があるからだ。
 関係さえしていればいいという時は終わったし、存在さえしてればいいという場所は無い。 ただ、昨今はあまりにも存在を無かった事にし過ぎた。だから自然は言うに及ばずこころも、身体すらも今はどこにも無い。 愛なんて以ての外だ。 関係さえすればいいというならば自意識以上の何かは必要無くなる。だからこころも身体も無かった事にされる。 それはもはや関係ですらなく、人の抜け殻同士のカサカサした独り言のやりとりでしかない。 自意識しか無い者は、自意識以上の何かを求めてイジメをしたり差別したり炎上したり中毒したりする。 それが自自身であれ他者であれ、弱さを犠牲にして得る快は毒でしかない。皆毎日己に毒を盛っていながらその苦しみが充実や青春だと勘違いしている。 そんな不毛は事はもう止めにして、かつて自分がゴミ箱に突っ込んで無かった事にした存在を 取り戻しに行く事だ。イタイ、ダサい、サムイ、クサいと言ってゴミ箱に突っ込んだ存在をだ。 かつてわたしが無かった事にしたわたしは確実にそこに在る。今だ存在している。 こころも身体も宇宙も野に咲く花も今もそこに埋もれている。
 存在するとは生き生きと死んでる事だ。野に咲く花は死んでいる。星はまばゆいばかりの死を放ちながら生きている。







魔神臓