文字言語がこころの何かを殺した

文字言語がこころの何かを殺した。これは確実にそうだ。 嘘だと思うなら自分のこころを確認してみればいい。 肚の底にいるはずだ。殺された何かが。 文字言語に殺された何かはいつ如何なる時も復讐を狙っている。 高度な文明が危機に陥り、高邁な文化が破壊されるのは、文字言語によって殺された何かが 人間をとおして復讐している。そしてその破壊は個人の心の中でも起きている。 わたしは文化や個人の破壊を肯定しているのではない。ただ、文化とやらはその発展の為に 多くのこころを踏みにじり踏みつけにし、殺してきた。復讐されて当然だ。
文字言語が殺した何かを無かった事にしてはいけない。それは文字言語の手に負える事ではないが、 だからと言って文字言語を捨てるという事ではなく、文字言語を使いながらも文字言語によって 殺された何かの復活、再生、再誕を成し遂げなければならないのだ。ひとまずそれは詩が手掛かり になるだろう。詩は殺した側と殺された側が出会う場所だ。それが殺し合いの場所になるのか 和解の場所になるのかは誰も分からない。 が、殺されたものの再生は詩にすら手に負えるものではない。詩は、一回限りの使い捨ての爆弾のようなものなのだから。 わたしは爆弾を置くようにして詩を置いていく。だが詩を置いたのはわたしではない。文字言語に殺された何かだ。 炸裂するのが愛なのか死なのかはわたし次第だ。


 

魔神臓